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鈴木栄一/太平洋に浮かぶ島国(ミクロネシア連邦)/かつて多くの日本人移住 |

大統領府会議室でモリ大統領に信任状を奉呈する筆者(右)。着ている服は、アイランダーズ・ウエアと呼ばれる正装
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コスラエ州の東日本大震災追悼セレモニーでは、地元自治体の住民が追悼賛美歌を歌った
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ミクロネシア連邦に赴任して、最初の仕事は信任状の奉呈であった。これは、天皇陛下から認証された信任状をミクロネシア連邦の大統領に陛下のお言葉と共に手渡すことであるが、しかるべくしきたりに従ってこの儀式が行われる。この信任状の奉呈を無事終えて、はじめて大使としての活動が認められる。
赴任して1カ月もたたない3月11日に東日本大震災が起こったが、このミクロネシア連邦でも、数時間後に津波が来るとの警報が出され、これを知った地元住民が急いで高台の方を目指して避難した。幸い、大きな被害はなかったものの、ミクロネシア連邦は多数の島々からなっており、多くの離島は津波の危険にさらされている。
この大震災直後より、ミクロネシア連邦でさまざまな動きが起こった。翌12日土曜日の朝一番、ロバート外務大臣から電話で、これからモリ大統領の弔意の書簡を公邸に届けたいとの連絡があり、1時間後、外務大臣本人が来た。
週明けからは、モリ大統領をはじめ実に多くの人たちが大使館に記帳のため訪れた。日本の被災者のため、祈ろう、悲しみを分かち合おう、そして何か自分たちでできることをしようとの支援の輪が全島的に広まった。
ミクロネシア連邦でどのようなことが起こったのか、一例を紹介したい。ポンペイ州では、ミクロネシア短期大学の学生の有志が集まり、大学の体育館で一般市民を対象としたチャリティーコンサートを開催し、学生が手作りの飲み物を販売した。さらに、中・高校生が、道路脇で「日本のために洗車を」と書いた段ボール箱を掲げ、道行く車を1ドルで洗車する光景が見られた。
コスラエ州では、州政府主催の追悼セレモニーが開催され、州知事自らラジオ放送を通じて日本に対する追悼メッセージを流し、各自治体の住民は、追悼の賛美歌を歌った。また、子供たちは「日本の皆さんの気持ちを思うと言葉も出ません」「遠い南の島からも日本を思ってる」「日本がかわいそう、日本のためにたすける」と書かれた大きな紙をかざして自分たちの思いを伝えていた。
このような動きは、チューク州、ヤップ州など各地で起こった。また、ミクロネシア電話公社は、携帯電話に利用者がメールのテキストで寄付したい金額を入力し、その金額が携帯電話のクレジットから引き落とされて義援金の基金に積み立てられるという方法で、テレビ、新聞等を通じて全島的に呼びかけた。
先日、同公社の理事長および副社長が大使館を訪れ「ミクロネシアと日本は、歴史的にも深い関係にあり、今日においても心情や価値観を共有する関係であり、特に、これまで日本から受けた経済開発支援に感謝し、被災地の一日も早い復興の願いを込めて、市民から募った義援金をお渡ししたい」と述べた。私は、こみ上げてくる涙を必死にこらえながら、義援金を受け取った。
(東奥日報HPより掲載:http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2011/sekai-machikado/20110916.html)
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